先日、神社へ足を運びました。
澄んだ空気の中で手を合わせるのは、大事だなと年を重ねて思うようになりました。
ふと、境内に奉納されている「絵馬」に目が留まりました。 皆さんがどんな願い事を書いているのか、気になって少し拝見したのですが…
「健康になれますように」 「痩せられますように」 「病気が治りますように」
健康に関する願い事が多かったのです。
もちろん、神様に祈る心自体はとても美しく、尊いものです。それを否定するつもりは毛頭ありません。 しかし、ここには大きな落とし穴があります。
多くの人が、健康を「願っていたら空から降ってくるもの(運)」だと勘違いしてしまっているのではないか?と思いました。
健康とは、願って手に入るものではなく、自分の手で掴み取っていくものです。
今回は、少し厳しい話になるかもしれませんが、 「神頼みと栄養学」 という視点で、あなたの人生を変える重要な話をします。
「他力本願」の致命的な勘違い
ここで少し、仏教の言葉である「他力本願」について触れたいと思います。 この言葉、「人任せにする」「自分は努力せずに他人にやってもらう」という意味で使われがちですが、本来の意味は全く違います。
本来は、「自力の修行だけではどうにもならない人間の弱さを認め、阿弥陀仏の救済(他力)に全てを委ねる」という、極めて深い「諦念と救い」の概念です。
では、「健康」はどうでしょうか?
健康づくりは、神の領域(他力)でしょうか?
いいえ、違います。
健康とは、紛れもなく「日々の積み重ね(自力)」の結果に過ぎません。
心も体も不調がなく、健やかな状態。 これは、神様の魔法で突然手に入るものではなく、あなたが日々口にしたもの、動かした体、考えたことのアウトプット(結果)です。
食べたものが消化吸収され、血となり肉となり、心を形成する。 あなたの性格や考え方ですら、脳内の神経伝達物質という「物質」の影響を受けています。 これらはすべて、生理学や生化学という「科学反応」の集積であり、そこに神様のさじ加減が入る余地などない。
厳しい言い方をすれば、 自分でコントロールできる範囲内(食事や運動)を放棄して、それを神頼みにするということは、本来の「他力」ですらありません。
それは祈りではなく、 「セルフネグレクト(自己放任)」であり、 ただの「怠慢」になってしまっている可能性が高いのです。
あなたが頑張っていないと言っているのではなく、頑張るベクトルを間違えていることが危険なんだよと僕は心から伝えていきたいです。
できる範囲の努力をし尽くした「後」で、運命を神に祈るなら美しいでしょう。
しかし、種も蒔かずに「豊作になりますように」と祈る農家がいたら、あなたはどう思いますか?
「まずは種を蒔こうよ」と言いたくなりますよね。
栄養学は、神が与えた「取扱説明書」

僕が伝えたい「祈りを現実にするたった一つの方法」。
それは、「栄養学」という武器(ロジック)を持つことです。
神様は、僕ら人間に「完璧なシステム」を最初から与えてくれています。 食べたものをエネルギーに変え、傷を治し、ホルモンを出して感情を調整する。 人体というのは、とてつもなく高性能な全自動マシンです。
この素晴らしいシステムをどう活かすか? 良い方向に進めるのも、悪い方向に壊してしまうのも、神様の気まぐれではなく、管理者である「あなた自身」の選択に委ねられています。
「栄養学」は超高性能マシンの「取扱説明書(マニュアル)」そのもの。
説明書をろくに読みもせず(知識を学ばず)、デタラメに操作をして、暴飲暴食や無茶なダイエットで機械を壊してしまい、 「神様、直してください」 と祈る。
これは少し「虫が良すぎる」と思いませんか?
祈りを具現化したい、つまり「健康」や「理想の体」を引き寄せたいのであれば、 そのために必要な手段(栄養学)を知り、正しく操作するのが最短ルートです。
「美しい祈り」の再定義
「じゃあ、祈るべきではないのか?」というと、そうではありません。 祈りには、正しい「使いどころ」があります。
それは、「自分でコントロールできない領域」や「在り方(マインド)」に向けるべきものです。
×「痩せられますように」(結果を丸投げする祈り)
○「自分のことを心から愛せる私でありたい」(在り方を願う祈り)
そして何より、僕が最も美しく、実際に願いが叶うと信じている祈りの形。 それは「お願い」ではなく、「決意表明(コミットメント)」です。
「健康になるために、私は今日から自分の体を大切にします。 正しい知識を学び、実践します。なので、どうぞ見守ってください」
神様(あるいは自分自身の無意識)に対して、努力を宣言し、そのサポートをお願いする。 これこそが、大人がすべき「美しい祈り」の定義ではないでしょうか。
運任せの人生から卒業しよう

運に頼っていると、人は一生不安なままです。 「いつか治るかな」「いつか痩せるかな」と祈っていても、今の不調はなくなりません。 過食衝動も、拒食の恐怖も、祈るだけでは消えてくれません。
もし祈るだけで体が変わるなら、この世で健康に悩む人なんて一人もいないはずです。
そんなに甘くないぞとこの仕事をしていて思いました。
正しく行動を積めばこう変わります。



神様は、祈るだけの人には手を差し伸べてくれません。 「やるべきことをやり、現実と向き合った人」にだけ、微笑んでくれるのだと思います。
現実直視をするのは怖いことです。 「自分の不摂生が原因だ」と認めるのは、痛みを伴うかもしれません。 しかし、そこから目を背けて祈りに逃げる人に、未来はありません。
やり方がわからない? 一人では不安?
それなら、神頼みをするのではなく、「プロ」を頼ってください。
ロジックや知識を学ぶために、時間やお金を投資する。 そうやって「自力」を磨く選択をした時、初めて神様はあなたの「仲間」になってくれます。
当たり前の努力を、当たり前に積み重ねる。 それができる人こそが、最終的に最も大きな「幸福」を引き寄せられる人だと、僕は信じています。
まずは神棚に手を合わせる前に、 鏡の中の自分と向き合い、今日食べるものを見直すところから始めてみませんか?
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